中村義人の一言ゼミナール

社会人のための会計と監査 -会計監査はどのように役立つか- 第122回 会計・監査の道

渋沢栄一は、農民の家に生まれましたがその父親(元助、市郎右衛門)は、教育熱心な人で、栄一が小さい時から漢詩や論語を教え、8歳ころから従弟の尾高惇忠おだか あつただ(富岡製糸場の初代場長など)から、私塾の尾高塾において、漢籍(漢文で書かれた書物)を教わりました。幼いころから学んだ論語の真髄しんずいが彼の心に深く根付いていたわけです。江戸時代まで、長い間商売によって得た利益は卑しいものであるとの考えがありました。
しかし栄一は、論語にある「子曰、富与貴、是人之所欲也。不以其道得之、不処也。貧与賤、是人之所悪也。不以其道得之、不去也。」についてその著書「論語と算盤」において、次のように解釈してその両立が可能であることを説いています。すなわち「富貴は、みんなの欲する所である。道理をもってこれを得たものでないならば、その地位に安住できない。貧しく賤しいことは、誰でもいやなものである。しかし、それにふさわしい方法で得た富貴であれば、あえて差し支えない」と。
栄一は、道徳なき拝金主義と道徳論者の商業蔑視とは相いれないものとは考えず、論語の解釈から道徳のあるビジネスが可能であると考えたのです。
現在、SDGs(持続可能な開発目標)が盛んに言われていますが、これもかつて「環境」か「開発」か、と二律背反に世界が悩んでいた時に、その両立が可能であるとして、新しい考え方、すなわちサステナビリティ(持続可能性)という言葉が生まれ、自然環境や経済社会などが長期にわたって両立できるようなシステムを生み出すことが可能であるという考えと、同じように思われます。栄一は、「富をなす根源は何かと言えば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に持続することができない。」と言います。

このような、道徳(義)と利の関係について述べたのは、栄一だけではなく多くの先人がいました。例えば、備中松山藩(現在の岡山県高梁たかはし市)の財政改革を成し遂げた山田方谷やまだ ほうこくは、「君子は、天下の道理である義と、目前の利益である利の区別を明らかにすることが大切である。藩政改革で最も重要なことは義であり、掟や約束を守ることだ。ただの倹約では意味がなく、義あっての倹約でなければならない。目先のことにとらわれずにあるべき目指すべき姿を明らかにすることが必要である。(理財論)」と述べています。

なお、岡山県と高梁市は、山田方谷が備中松山藩の元締役兼吟味役(藩の大蔵大臣)を努め、産業政策、藩札刷新等の7大政策を断行し、財政破綻に陥っていた藩の財政再建を成し遂げた偉大な政治家・学者であるとして、NHKの大河ドラマで放送してほしいとして、100万人署名運動を始め、すでに103万人の署名を添えてNHKに要望したとの報道がありました。
また、国会に「山田方谷の志に学ぶ国会議員連盟」(会長加藤勝信官房長官、衆院岡山5区)が組織され、方谷の情報発信と大河ドラマ化に向けた活動を行っています。本稿においても第55回から59回に方谷の財政改革について触れています。

このような方谷の思想は「漢学塾二松学舎」(現在の二松学舎大学)を創設した三島中洲(漢学者)に引き継がれ、「利を得ざるの義は真義に非ず、また義に由らざる利は真利に非ず。(義利合一論)」と述べ、義でもって利の心を過ぎないように抑制して、「義利合一」になれば完全ということができると述べます。渋沢と中洲の思想は符合し、両者はたびたび歓談の場を設けていました。
また、かの篤農家として農業経営の手法を編み出し、各地を自ら実践して農民から尊敬を得た二宮尊徳も、徳がすべての根源と考え、財産はただ末端のものであり、その根源を忘れて、私利私欲のみに心を奪われてはならないと説きました。
そして、論語の「以徳報徳(徳を以って徳に報いる)」から自らの名前を付けました。(尊徳の思想については第54回参照。)

さらに、栄一より100年以上前にイギリスのアダム・スミス(経済学者・哲学者)は、富と徳について次のように述べています。「普通の人は、財産への道と徳への道を同時に進もうとするが、人類のうちの大半は富と地位の感嘆者であり崇拝者である。世間は富と地位にもとづいて評価するため、ほとんどの人は徳の道の重要性を認めつつも財産の道を優先する。世間にとって英知と徳は見えにくく、富と地位は見えやすいからだ。しかし、私たちが財産への道を行くことは必ずしも徳への道を放棄することではない。私たちは、富と地位だけではなく、徳と英知に対して普遍的な尊敬の念を持っているからである。」と説いています。
栄一もこのアダム・スミスについて、「彼は聞くところによれば倫理哲学を教え、有名なる富国論を著して近世経済学を起こしたのであるが、利義合一は東西西洋に通じる不易の原理であると信じる。」と述べています。

北康利の安田善次郎伝によると、「大正10年9月、善次郎の大磯別邸に若い男が訪ねてくる。その日栄一から寄付をせしめ、そして善次郎の家にやってきた。善次郎がそれを断るといきなり切り付けられ、不運にも善次郎はそこで83歳の人生を終えた。明治政府が順調に国家経営を進めていけたのは、この金融界の大立者があったればこそであった。しかし、世間は彼の死にほとんど同情はしなかった。」と書かれています。著者は、題名にもあるように、彼は陰徳の人であるため、社会に本当の姿が伝わらなかったといいます。

(参考資料)

「論語と算盤」 渋沢栄一 角川文庫 2008年
「日本の思想家41 山田方谷・三島中州」 明徳出版社  1977年
「アダム・スミス 道徳感情論と国富論の世界」 堂目卓生 中公新書 2008年
「銀行王安田善次郎 陰徳を積む」北康利 新潮文庫 2013年

 


高梁市のゆるキャラ ほうこくん


渋沢栄一の青淵文庫(飛鳥山公園内)

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